絵と共に画家・難聴母として歩む日々
2026年8月1日㈯
このホームページを開設して10年ほどになります。長かったように感じますが、私はこれからだと感じています。こんにちは、鷹島です。
生まれつき難聴で、補聴器を両耳につけています。両親のサポートのおかげで、手話無しでも会話ができます。
周りの人からは「聴覚障害だったということ忘れちゃう!」とよく言われるくらいに話すことが好きです。
正直、困っています。聞き取りの方が、話すより倍以上のエネルギーを使いながらも苦手なのです。聞き違いや、もはや何を言ってるのかわからないぞと思うことも、よくあるのです。
そんな時は、きっと「へー( ̄▽ ̄)」という表情です。
絵は小学生のころから好きなこと
よくポケモンや犬夜叉とかを模写して描いていたな。絵を描いているときが、自分にとって癒しでありました。
小学生のころは、おとなしくしていない方でしたが、よくいじめられていました。ニックネームなんかは、「ゴリラ」です。ウホッ!
なぜかって?今思えば、私も迷惑かけていたなあ。
例えば鬼ごっこでタッチするときに、ぽんとではなく、『バシっ!!!』と叩くような感じだったからかな。
まあ、小学一年生のころの担任の先生が、聴覚障害の生徒を持ったことに苛立ってなのか、長いほうきで頭をガツーンッと叩かれたことをきっかけに始まったんです。
きっと、怖かったでしょうな。その翌日は、先生と一緒にというように、いじめが始まりましたとさ。
けどね、絵を描いているときは、みんな褒めてくれたのです。ちょっと「おいっ!」と笑っちゃいますが。
絵は、コミュニケーションの一つでもあったかもしれません。なんとか、不登校にならずに頑張った自分を褒めてあげたいものです。親も一緒に闘ってくれたので、心強かったです。
絵=生きがい
「絵で喜んでもらえることは、私にとって一つの生きがいである!」
何枚か描いてきた絵も楽しかったですが、社会人になった後に、似顔絵を頼まれたことがきっかけに、絵で喜んでもらえることの嬉しさを感じました。
その時は、人の似顔絵でした。お世話になっているお母さんへのプレゼントに、「笑顔のお母さんの似顔絵を描いて欲しい」でした。
贈った娘さんもお母さんと共に喜んだと聞き、力になれたことがとても嬉しかったのを思い出します。
就いて仕事をしていても、電話でクレーム苦情言われたり(本当は電話でなくてよいと上司にいわれていたのですが・・・、周りのパートの方からは厳しかったのです。)、何も役に立っていない、迷惑をかけているとよく悩んでいました。
だからこそ、ようやっと自分の力で役に立てれることがあると実感したものでした。
その後にいろいろあって、犬に似顔絵を仕事にする流れになり、今も続いています。後日にこの話も書きますね。
そういえば、今は「画家」として活動していますが、「絵描き屋」、「イラスト描き屋」、「似顔絵師」など、いろんな名称に悩んでいました。
10年目を迎える今、「画家」で良かったです。
画家といえば、もっと大きな絵を描く人や、抽象な絵を描く人などをイメージするかと思います。
私の場合は、小さいサイズの絵から始まり、いろんなタッチで描いていき、今後サイズも技術も大きくしていく画家です。長く活動し、憧れでもある「画家」という名称でいきます。
難聴母として
一人息子がいます。私の生きがいのまた一つの存在です。
息子の成長は、私自身にも繋がっています。これまでに、聞き取りがうまくできていないことから、周りの人よりも成長が遅く感じていました。
幼いって感じ。
息子が生まれ、日々を過ごしていくなかで、ようやっと大人へとなれた気がします。息子を育てながら、学び、共に成長していく日々を楽しんでいます!
時々、ブログに子育てについての考えも書きます。
難聴であっても、愛情たっぷり・元気いっぱい・寄り添う母でいる!と決めて過ごしています。
こそッ「元気ない時は、思いっきり甘えちゃっています♪」
長くなりましたが、ここまで読んでくださって、ありがとうございます!今後ともよろしくお願いいたします!
気になることやコメントがございましたら、こちらから送ってもらえると嬉しいです!
